ガチで完結編 厄年に家を建ててはいけないのか・家相風水は人生を豊かにするのか・不動産に怨念はあるのか。答えは〇〇にあり。

バタバタしてまして、オチ(ではなく「結論」)を書くのが遅れました。

 

「厄年に家を建ててはいけないのか・家相風水は人生を豊かにするのか・不動産に怨念はあるのか。答えは〇〇にあり。」の

〇〇とは!!!

・・・

 

 

カンの良い方は、既にお分かりでしょう。

 

 

ごく当たり前のことです。

 

 

厄年に家を建ててはいけないのか・家相風水は人生を豊かにするのか・不動産に怨念はあるのか。

 

 

答えは!!

 

 

 

人にあり。です。

 

 

 

人、です。その「人」自身が気にするかどうか、それが全てです。

 

 

 

先日、娘が家出(一時間半)した事はお伝えしましたが、その時私が本心から思ったのがこれ

 

 

 

「勉強できんでもいいから、親に逆らってもいいから、ハイパー変わり者のままでいいから」

とにかく家におってくれ

 

 

私、今「自宅を建てている」というのはお伝えしている通りですが、家が出来て、家族がバラバラになってたら何の意味もありません。どれだけ立派で、カッコ良くて、おしゃれな家が出来ても

 

 

 

 

 

 

がいないと、それはただの箱です。住んでこそ家。住む人がいてこその幸せです。(空き家問題も同じ事ですね)なので私はここに

 

 

 

「絶対”人中心”主義」を掲げたいと思います。そもそも

「神仏」を作った(神仏という存在を感じ取った)のも人、「厄年」というものを定めたのも人、「家相・風水」というものを定めたのも人、「怨念」を感じるのも(作り出すのも)人です。

 

 

 

私は不動産業を営んでいて、日々思っている事があります。私は

 

 

 

土地・建物を扱っているのでは無く「人生」を扱っているのだと。

 

 

 

だからこそ、お客様と話していても

「それは物件の問題では無く、貴方の人生の問題です」と言ってしまうことが

 

 

 

さすがにありません(笑)が、心の中で思ってしまう事はあります。

 

 

 

でもまあ、それが当たり前だとも思ってますので、何なりとご相談いただければと思っております。

 

 

 

不動産でもなんでも、基本は

 

 

 

「人が幸せになる手段」です。そう考えると、物件探しも住宅作りも、一定の基準が出来ます。

 

 

 

人の世を動かしているのは、やはり「人」です。逆に言えば

 

 

 

「怖いのも人」で、神仏や家相風水・怨念が怖いのではありません。

 

 

 

そういった事を利用して何かをする「人」が怖いのであり、そういった事に振り回されしまう「人の感情」こそが怖いのです。

 

 

 

理屈っぽくなりました(笑)とにかく私は

 

 

 

神仏や家相風水、怨念に気を使うよりも

 

 

 

「人」

 

 

 

に気を使いたいと思います。それでは。