「この地域に納涼祭はありますか?」「獅子舞はありますか?」
不動産業をしていると、こうした質問を本当によくいただきます。
もちろん多くの方が「納涼祭をやりたい」「獅子舞に出たい」という意味で聞かれるわけではありません。
本音は、「そういった行事が少ない地域を選びたい」というものです。
要するに、「面倒なことが少ない地域に住みたい」という気持ちの表れです。
家族の形が変わった
行事への参加が難しい理由はさまざまです。
ご夫婦共働きで時間が取れない。
お子さんの習い事やスポーツで週末が埋まる。
単身世帯で余裕がない。
高齢者だけの世帯で、体力的に厳しい。
結局のところ、家族の形が多様化し、少子高齢化が進んだという現実が背景にあります。
私が子どもの頃(昭和50年代)は、「サザエさん」のような家族が普通でした。
おじいちゃん、おばあちゃんがいて、お父さんお母さんがいて、兄弟が何人かいて、
近所に叔父叔母・いとこも住んでいる。
そんな中では、地域の行事も成り立っていました。
おじいちゃんかお父さんが出ればいい。
おばあちゃんとお母さんが家を守ってくれる。
そのうちに長男が行事に参加し、おじいちゃんは引退する。
そしていつも、家に帰ればご飯も風呂もできている。
そんな「余力のある社会構造」だったのです。
しかし今は、その前提が崩れている
結婚する人は減り、単身世帯は増えています。
子どもたちは進学や就職で都会に出て行きます。
残るのは高齢者中心の地域。
悪いことではありませんが、地域行事の担い手がいなくなるのは必然です。
「昔からやってきたから続けよう」という気持ちは理解できます。
しかし、「昔とは条件がまったく違う」ことを、私たちは受け入れねばなりません。
時代に合わせた見直しが必要だ
私は先日、自分の住む自治会で「納涼祭廃止のご提案」という書類を提出しました。
理由は明快です。
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家族の形が変わり、担い手の負担が大きすぎる
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酷暑の中での準備・運営は熱中症リスクが高い
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素人による調理提供には衛生面の不安がある
会長は「皆で協議しましょう」と言ってくださり、即却下にはなりませんでした。
しかし、「やめる」という決断は簡単ではありません。
人は基本的に“現状維持”を好む生き物です。
変えること以上に、「やめること」は勇気が要ります。
「やらなければならないこと」と「やらなくてもいいこと」
私は人間の行動を、次の四つに分けて考えています。
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やりたいこと(志・趣味)
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やってはいけないこと(法律・道徳)
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やらなければならないこと(義務・責務)
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やってもやらなくてもいいこと(任意の活動)
納涼祭はこの中の「4」にあたります。
義務ではない。廃止したら地域が立ち行かないという話でもない。であれば、やりたい人がいればやればいい。
そこに文句はありません。
しかし、やりたくないという意思もまた、尊重していただきたいんです。
現代社会では、この「やらなくてもいいこと」に、無理やり“義務の衣”を着せている例が多すぎるように感じます。
要するに「昔からやっている事だから」とか「皆もやっている事なんだから」などで「参加するのが当たり前」という空気感を醸し出している。
そしてその結果、実際に参加している人は疲弊し、若い世代は地域から離れてしまう。
しかし、これでは本当に本末転倒なんです。
「やめること」は、地域を捨てることではない
行事をやめることは、地域を衰退させることではありません。
むしろ「持続可能な地域」にするための再設計です。
「やりたい人がやればいい」
「やらなくても責められない」
この寛容な構造をつくることが、現代に合った地域の形だと思います。
熱中症で倒れる前に、社会を冷やす。
それは“冷たい選択”ではなく、“温かい理性”です。
おわりに
私は「納涼祭をやめよう」と提案したからといって、地域を嫌っているわけではありません。
むしろ、地域を長く保つための知恵として申し上げたのです。
続けることよりも、やめることの方が難しい。
しかし、やめる勇気こそが、次の時代をつくる礎になると信じています。
変人のたわごとと思われても構いません。
ただ、私は「時代に合った地域のかたち」を探していきたいのです。
・・・
こんな話をすると、大抵年長者の方から「そんな事言わんと」と窘められるんですが、あなたはどう思います?結構私、色んな人の「代弁者」になっていると自負しているんですけども。
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