「シバシバ見レバ鮮ナラズ」って言葉ってご存知でしょうか?と思って私もネットで調べてみましたが、出て来ませんでしたので、あんまりメジャーな言葉ではないはず。
この言葉、司馬遷の『史記』に書かれています。と言っても、私だって『史記』を全て読んだわけじゃないんですが、高校の漢文の授業で少し習いますよね。
さて。
この数日間、箱根から弟一家が帰省していました。私の方は「客人がいる時の酒は酒じゃない」をモットーに数日間呑み続けていたわけですが、久しぶりに会う親族は良いモノです。
高岡にいる妹一家も合流し、笑いの絶えない数日間でした。
が、何故こんなに心地良いのかと考えると、冒頭の言葉が思い出されるわけです。「シバシバ見レバ鮮ナラズ」。簡単に言えば「いつも一緒だとお互いに新鮮感が無くなるからね」という事です。
原典では、引退したオジイチャンが、財産を持って子供達3人の家に次々に遊びに回るわけです。で、数日間滞在して、また次の家に遊びに行く。その間にもしも自分が死んだら、その時に居た家に全ての財産を残していくと約束しておく。
分かります?こうすれば子供たちもオジイチャンが来るのを歓迎しますし、出来るだけ滞在して貰いたいと思って厚くおもてなしします。この方法を考えた人は本当に頭がいいですよね。
という話です。
そもそも、家族ってのは非常に『近しい』存在です。お互いに助け合える有難い存在とも言えます。しかし、あまりに近すぎると、その有難さを感じにくくなってしまうものでもあります。人間ってのは『慣れる』生き物なので。
以下は私の持論ですが、家族ってのは多少離れてる方が良いと思いますよ。何かあった時はすぐに助け合えるけど、何も無ければ別に会う必要も無い。シバシバ見レバ鮮ナラズ。です。
そんな事を思った春でした。
春も、一年中春だとその有難さを感じませんよ。桜もそうですね。1年に一回咲くからいいんです。これもシバシバ見レバ鮮ナラズ。です。
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