良く分からないタイトルにしてしまいましたが、高岡と高岡商人の話です。突然ですがあなたは『日本三大商人』というのをご存知でしょうか?
さっさと答えを書いてしまいますが『近江商人・伊勢商人・大阪商人』です。
しかし我が富山県には、それらメジャー商人に負けない程に悪名(?)高い商人がいます。それが高岡商人。
ちなみに私も現在商人ですが、生粋の高岡商人ではありません。父方の家はこの地で長く農耕を営んできた高岡農民で、母方の家が、いわゆる高岡商人。
と言う事で。
私のDNAの中には『高岡商人には気を付けろ!』という(農民的)思考法と『高岡商人かくあるべし!』という(商人的)思考法が双方刻み込まれているわけです。
さてこの高岡商人。正確な定義は知りませんが、私が子供の頃から抱いているイメージとしては以下の通りです。
・利に敏い(損得勘定にうるさい)
・小利(小さな利益)も逃さない
・とにかく油断ならない
みたいな感じです。「高岡商人が通ったあとはペンペン草も生えない!」と言えば良いのでしょうか。
ただこの高岡商人。歴史を紐解くと、江戸時代以降の高岡の発展を担ってきた、非常に誇り高い存在という事が分かります。
高岡はそもそも、加賀百万石で有名な前田利家の嫡男・前田利長が高岡城(現在の高岡古城公園)を築城する事で開かれた『城下町』でした。
しかし築城から5年後、肝心の前田利長が没(享年53歳)。
悪い事は重なるもので、その翌年に徳川家康の『一国一城令』が出され、あっさりと廃城(たったの築6年!)。
関連ブログ 前田利長の隠居城にしては堀のでっかい、恰好いい城じゃないかよ。高岡城の実力。
それらの結果、高岡は一気に衰退。
する可能性もあったのですが、利長の跡を継いだ前田利常が『商工業』を推奨する事で復活。以降、『城下町から商工業の町』へと華麗に転身し、ついには『北陸の大阪』と呼ばれるまでの活況を呈します。
そして、その活況を支えた最大の原動力が『高岡商人』なわけです。そりゃ誇りも高くなりますよね。
だから。というわけでもないのですが。私個人としては高岡商人に対し特段『利に敏い・小利も逃さない・とにかく油断ならない』とは思っていません。
何故なら、それらの事は全て『商人(ビジネスマン)ならごく当たり前の事』だから。
長く続く商売をする為にはそれらに加えて『信用』が無いと絶対に無理なんですが、その信用と、自分達が高岡を支えているという誇り。それらが高岡商人にはあった。
と言う事で。
私は高岡商人に対し、『商人道(ビジネスマインド)を実践して長らく地域の信用を積み重ねてきた、素晴らしき先達(せんだつ)』と思っていますし、『礼儀正しく・約束を守り・義理堅い』というイメージも持っています。
ただ、その反面として
『礼儀正しくない人・約束を守らない人・義理堅くない人』には非常に厳しい目を向ける習性も強いと思っています。一段下に見るというか、何段も下に見るというか、いや、むしろ『排除する』というか。
その辺が、ねちっこいというか、細かいというか、スケールが小さいというか・・・
こういうのが『高岡』自体がもつネガティブなイメージにも繋がっているのかなあと思ったりもするわけですよ。なーんか『堅そう』で『細かそう』で『うるさそう』という。
なので。以下は私の個人的見解ですけども。
高岡商人はもうちょっと『大らかさ』を持てば良いのではないかと思う訳です。真面目に商売するのは本当に素晴らしい事なんですが、もっと大らかに。
神経質な私が言うんですから間違いありません。伝統は伝統として、もうちょっと大らか~な、柔らか~な町になると良いなあと思っているわけです。
そう。
こんなしょーもないブログを笑って許す、大らかな存在に。
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