藤子不二雄 Aさんが亡くなられまして。私は富山新聞を取ってるんですが、ちょっと前から藤子不二雄Aさんのコラムが投稿されてたのを結構楽しみに読んでたんですよ。
かといって私は生粋の 藤子不二雄 「F派」だったんですねえ~。子供の時から。小学生の時に「藤子不二雄解散!」というニュースを見たんですがその時も「藤子不二雄 Aが悪いんだ!」などと勝手な事を思ってました。
子供心に、コンビ解消ってのは結構ショッキングなニュースでしたね。
私は昭和51年生まれですが、我々の世代は正に「藤子不二雄世代」でした。もうちょっと前の世代は「おそ松くん」とか「ド根性ガエル」とか「あしたのジョー」とかですが、今思うとすごい時代ですね。名作のオンパレードです。
学校から帰ってきてドラえもん見て、パーマン見て、プロゴルファー猿見て。キテレツ大百科も見てましたねえ。怪物くん、忍者ハットリくんも・・・
ちなみに。
私の幼少期の夢「オレは忍者になる!」は、多少ハットリくんの影響もあります。多少ね。
こりゃあネネに「ユーチューブばっか見てんじゃねえ!」とは言えませんな。
なんせそれだけ「アニメ・漫画」が日常生活の中にありましたね。面白かったなあ・・・
子供の時はああいうので大分救われますね。その30分はイヤな事を忘れられたり。漫画もねえ。新刊一冊読むのがどんな嬉しかったか。コロコロコミックの発売日が、いかに待ち遠しかったか。
そしてそんな名作の数々を世に出し続けた偉人が、まさか富山県の高岡市と氷見市に住んでいたとは。
「まんが道」も良かったですねえ。小学5・6年の頃に読みましたが、本当に「仕事をするってこういう事なんだ!」と思いましたし「これが青春だ!」とも思いました。
私、あんまり「恋愛モノ」とかで青春は感じなくて、青年が苦悩しながら「自分の生きる道を」手探りしながら模索している姿に青春を感じる派なんですよ。
という事で、生粋の 藤子不二雄 「F派」の私ですが、Fさん逝去後も精力的に、長く活躍された 藤子不二雄 Aさんのご冥福をお祈りしつつ、献杯致します。
いや!もとい。酒は自宅で呑まないのでした。
味噌汁で、献杯致します。