WBC(ワールドベースボールクラシック)優勝、今更ながら凄かったですね。久しぶりに日本に元気をもたらせてくれた素晴らしいニュースでした。
あのくりまやですよ・・・。ファミスタ(ナムコのファミリースタジアム)ではそんな名前で出てたので、そのイメージが強いんです。左バッターで足が速くて。私は好きな選手でした。
ファミスタでいうと、あの頃(88年)は西部ライオンズがめちゃくちゃ強かったんですよね。バランスが取れてました。
で?
という話なんですが、栗山監督は本当に良くやってくれましたよ。選手たちは勿論すごかったですが、栗山監督は本当に凄かった。
何が凄いのか?
私が思うくりまや、じゃなくて栗山監督の凄さは以下の3つです。
1.大谷をガッツリ掴まえて、しっかり育てた。本人の当初の意向(高校から直にメジャー)や周囲の反対(投手と打者の二刀流は無理)などの騒音を抑えて、上手く調整し続けた。
2.選手達の気持ちや考え方を尊重すると共に、判断すべき所は判断し、選手達とコーチ陣、そして『周囲の人達』から信頼を得続けた。
3.スキャンダルも無く、とにかく結果を残した。残し続けた。
全て短期間の行動では出来ない事です。長い時間に渡って積み重ねないと出来ない事。人間力の賜物では無いかと。
1は、なかなか難しいですよ。人間はつい『前例』にこだわってしまうものですからね。
2は、バランスが難しいんですよ。つい『どこかに』重心が片寄ってしまうものですからね。
3は、結構『あるある』です。人間、ちょっと上手く行くと『調子に乗り過ぎて』しまうものですからね。
こう考えると、栗山監督の『人間力』というのが相当なものなんだろうなあというのが率直な感想です。
で、人間力と言えば野村監督の『金を残すは三流、仕事を残すは二流、人を残すは一流。』という言葉なんですが、栗山監督もヤクルト出身という事で、「栗山監督も野村監督が残した人材なのか・・・」と思いきや、そうでも無いようです。
栗山監督がヤクルトに在籍していたのが1984~1990年。一方の野村監督がヤクルトに在籍していたのが1990年~1998年。被っているのは1年だけ。
しかも、野村監督は栗山選手(当時)の事を全く評価していなかった。というか嫌っていたという話もチラホラ。
この辺は何とも言えませんけどね。監督と選手の相性もありますし、監督としての構想もあります。選手から見れば監督は一人ですが、監督から見ると選手は多数。その辺の問題もあります。
と言う事で、途端に歯切れが悪くなる私ですが、それほど『人間関係』ってのは難しいって事です。『組織』と言い換えても良いでしょう。
人には一人一人、色んな思いがあります。そしてそれは、基本的には『自分で』叶えるしかありません。舞台のようなものだと聞いた事があります。
誰もが劇の主人公だけど、その為の舞台を作って、衣裳を作って、小道具を揃えて、脚本を考えて、演出を付けて、音楽を付けて、そして客を集めるってのは、基本的に『自分自身で』やるしかないと。誰もわざわざ他人の為の舞台を作ってくれないよと。
そういった意味では、栗山監督は見事『選手達が活躍しやすい舞台』を作る事で『日本中が熱狂出来る舞台』を作り出し、その結果『自分自身が輝ける舞台』も創り上げたという事で、これは本当に凄い事です。
栗山監督と野村監督、個性は全く違えども『不断の勉強』と『負けん気』で自分なりの舞台を演じきった、素晴らしい主人公達だったのでは無いでしょうか。
とは言え私自身は、野村監督の、あの(理屈っぽい感じが)たまらなく好きなんですけどね!