今日は高岡市長選。
まちの未来を誰に託すかを決める、大切な日です。
そんな日にふと思い出したのが、「前田利長公」のことでした。
高岡古城公園にある利長公の銅像。
私たち高岡市民は、子どもの頃からあの姿に触れて育ってきました。
また、利長公の菩提寺である瑞龍寺は国宝に指定され、
そこへと続く八丁道は、高岡のまちの誇りです。
◆戦わずして守った“百万石”
前田利長は、戦国の武将でありながら、
**“戦わずして家を守り切った”**という異色の人物です。
父・前田利家の死後、徳川家康の圧力にさらされながらも、
彼は剣を抜かず、柔軟な交渉と譲歩によって加賀百万石を存続させました。
戦国の終焉、江戸のはじまり。
利長はその狭間を、“大人の戦い方”で見事に乗り切ったのです。
◆文化と経済で町を育てた男
利長のもう一つの功績は、「高岡のまちづくり」です。
高岡城を築き、鋳物師を招き、町人たちを住まわせ、
武士の町ではなく、“ものづくりの町”を興したのが利長公。
そこから始まった高岡の文化は、
今に続く銅器や漆器、金工といった伝統産業の礎となりました。
◆瑞龍寺に眠る“静かな英雄”
利長は56歳で亡くなりますが、
その最期もまた、見事な“引き際”でした。
家の跡継ぎ・利常に全てを託し、
自らは一線を退いて高岡に居を構えます。
そして、自身の廟所として建立されたのが、あの瑞龍寺です。
「戦で名を上げる」ことではなく、
**「まちと人を未来に残す」**ことこそが利長の選んだ道だったのです。
◆前田利長=北陸のコジモ説
私が今一番尊敬しているのはイタリア・ルネサンスの偉人、コジモ・デ・メディチですが、この人は武力ではなく文化と金融で都市を治め、“フィレンツェの父”と呼ばれました。
それを踏まえて私は思うのです。
前田利長は、“北陸のコジモ”であったと。
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剣を抜かずして家を守り、
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文化を育て、まちを育て、
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静かに身を引いて、その功績を飾らずに去った。
これほどまでに「信用」「文化」「長期的視点」を重んじた武将がいたでしょうか。
◆このまちに生きる者として
高岡市長選という節目の日に、私は改めて思うのです。
このまちは「前田利長」が開いたまちである。そして今、私たちもまた「誰に未来を託すか」を選んでいる。
武力ではなく、知恵と信頼でまちを守り、人の営みを静かに支えていく。
それこそが、「高岡らしさ」なのではないかと。
◆さいごに
かつては「馬上、剣を振り上げて戦う武将」に憧れた少年(私)も、
ようやく今、「戦わぬ利長公」の偉大さが、じわじわと心に沁みるようになりました。
文化でまちをつくり、信頼で家を残す。
それが、和のコジモ――前田利長公の生き方です。
その志を、私たちの未来にもつないでいきたいと思います。
自分のまちの事ですからね。真面目に語りました!
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