高岡市で暮らし、不動産業という仕事をするようになって、もうずいぶんの年月が経ちます。 日々、地域の中で人と関わり、家と向き合う仕事をしていると、 まちの変化や空気感に、自然と敏感になります。
そうした立場から、今回の高岡市長選挙には、やはり関心を持たずにはいられません。
4年前の高岡市長選。 当時38歳の角田悠紀さんが高岡市長に選ばれました。 若さとスピード感、そして「これまでとは違う風が吹くかもしれない」という大きな期待感。 多くの高岡市民が前向きな変化に目を向けた選挙だったと思います。
私自身も、「これからどうなるのか」、静かに見守ってきました。
この4年間、高岡市長として努力されたことは多々あると思います。イチ不動産屋から見ても素晴らしい働きをされたと思います。しかし、日々いろんな方と話していると――
「結局これまでの旧態依然とした政治となーん変わらん」
「市の数字はちょっこ良うなったか知らんけど、わしらには実感がないのう・・・」
「地震のあと、もっとちゃんと寄り添ってほしかった・・・」
といった本音の声が、ふとした会話に混じって聞こえてくることがあります。
そんな中で、よく言われる言葉を思い出します。
「改革は、馬鹿者・よそ者・若者にしかできない」
高岡市は前回、「若者」に希望を託しました。 今回、もし「よそ者」としての視点を持つ人物が名乗りを上げているなら、 その視点にも耳を傾けてみる価値はあると思います。 それも一つの選択肢です。
ただ、最後に残るのは「馬鹿者」だと思います。 高岡市のために、どれだけ馬鹿になれるか。 馬鹿正直に市民と向き合い、馬鹿丁寧に説明責任を果たし、旧態依然とした政治屋から馬鹿と嘲笑されたとしても、 市民のために体を張れる人。
結局、この選挙は―― 「誰がいちばん馬鹿になれるか」の戦いなのかもしれません。
角田さん、中川さん、そして出町さん。 立場や視点は違えど、それぞれに想いや覚悟があるはずです。 誰が市長になったとしても、高岡の未来にとって実りある選択となるよう、 市民の一人として、真剣に考え、投票に臨みたいと思っています。
「誰がやっても同じ」「どうせ変わらんちゃ」――そんな空気が漂いがちな今だからこそ、 まずは市民自らが真剣に考えること。 その上で、「この人になら任せてみよう」と思える人に、静かに託すこと。
選挙とは、そういう行動だと思います。
今回の市長選は、「未来の高岡」を少しでも良くするための、元気にするための、一つのきっかけです。 政治のことは難しくても、「暮らしの延長」として少しだけ関心を持ってみる。
私自身、そんな思いでこの選挙戦を見つめています。
最後に。
阪神淡路大震災の時、私が宿舎で読んで感銘を受けた『氷川清話』の一節を引いて、このブログを終わります。
政治家の秘訣は何もない。ただ「誠心誠意」の四文字ばかりだ。
高岡に“真の政治家”が現れるかどうか。
それは、私たち一人ひとりの判断にかかっています。
とりあえず私はいつも
馬鹿者の政治家を、誠心誠意応援しています!
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