今日は8月1日。富山で納涼花火大会が開催されますが、今回はその話ではなく、地域の納涼祭の話です。
今年、私の住む町内では、納涼祭の運営方法が大幅に簡素化されました。
具体的には、
- 自前調理を廃止し、食べ物は外部から調達
- 開催時間を変更し、全体を短縮
- その他の実施事項も各種簡素化
という内容です。
これだけを見ると、
「時代の流れで、自然にそうなったのだろう」
と思われるかもしれません。
しかし、ここだけの話、私が言い出さなければ、今回の簡素化は、おそらく実現していなかったと思います。
毎年やっているから今年もやる。
その流れが、ずっと続いていたからです。
納涼祭は、運営する側の負担が重い
私は以前から、町内の納涼祭は、運営する側の負担が重すぎると思っていました。
炎天下の中で焼き鳥を焼いたこともあります。
たこ焼きも焼きました。
ビールも売りましたし、かき氷も作りました。
テントも毎年組み立て、祭りが終われば、また解体して片付けてきました。
準備は祭り当日だけではありません。
事前の打ち合わせ、買い出し、食材や機材の準備、人員配置、当日の調理、販売、後片付け。
かなりの時間と労力が必要です。
しかも、この酷暑です。
熱中症の危険があります。
自前で食品を扱う以上、食中毒の不安もあります。
万が一、事故が起きた場合、誰がどこまで責任を負うのかという問題もあります。
もちろん、子どもたちや町内の方々が楽しそうにしている姿を見れば、やってよかったと思う部分もあります。
しかし、それだけで運営する側の負担を、毎年当然のものとして扱ってよいのか。
私は以前から疑問に思っていました。
町内行事は、住宅購入者にとって必ずしも魅力ではない
私は中古住宅の買取再販を仕事にしています。
そのため、新しく地域に入ってくる方々から、町内会や地域行事について質問されることがあります。
そこで感じるのは、納涼祭などの地域行事を楽しみにしている人は、ほとんどいないということです。
むしろ、
「どんな行事があるんですか?」
「それは絶対に参加しなければならないのですか?」
「役員はどれくらいの頻度で回ってきますか?」
「お祭りの手伝いはありますか?」
と、負担を心配する方の方が多い。
地域の交流そのものを嫌がっているわけではありません。
ただ、共働き世帯が増え、多様な働き方が増え、休日の使い方も変わりました。
子育てや介護を抱えている家庭もあります。
昔と同じように、地域行事へ多くの時間と労力を費やせる人ばかりではありません。
町内行事を変えずに守り続けることが、逆に”新しい住民を遠ざける”原因になっている可能性もあるのです。
最初から「やめましょう」とは言わなかった
私は当初、納涼祭そのものを廃止してもよいのではないかと思っていました。
しかし、いきなり廃止を提案すれば、強い抵抗が出ることも分かっていました。
長年続いてきた行事です。
楽しみにしている方もいます。
特に、自分がまだ運営に深く関わっていない段階で、
「大変そうだから、やめた方がいい」
と言っても、説得力がありません。
そこで私は、まず納涼祭を取り仕切る総務委員になりました。
そして1年目は、従来のやり方に従い、実際に参加しました。
自分で経験してから判断しようと思ったからです。
結果として、やはり「このまま続けるのは本当に厳しい」と確信しました。
外から眺めて「大変そうだ」と思ったのではありません。
実際に事前準備に携わり、テントを運び、準備と片付けをした上で、
「これは変えた方がいい」
と考えたのです。
一番負担の重い「自前調理」から見直した
納涼祭の中で、特に負担が重いのは自前での調理です。
調理をするには、多くの人員が必要です。
食材の準備も必要です。
調理器具やガス、電源、水、手洗い環境も必要になります。
暑い中で火を扱うため、熱中症の危険も高まります。
衛生管理にも注意しなければなりません。
そして祭りが終わった後には、油や汚れの付いた器具を洗い、片付ける必要があります。
自前調理をやめれば、
- 人員を減らせる
- 準備が減る
- 片付けが減る
- 熱中症の危険が下がる
- 食中毒の不安も小さくなる
という複数の効果があります。
そこで私は、まず自前調理を廃止し、食べ物は外部から調達する方法へ切り替えるよう提案しました。
祭りを全部なくすのではなく、一番負担の重い部分から外す。
これなら、比較的理解を得やすいと考えたのです。
一度言っただけでは、何も変わらなかった
納涼祭が終わった後、私は自治会長に対して、廃止または負担軽減が必要ではないかと伝えました。
その後も、機会があるたびに一貫して、納涼祭の運営方法を変えるべきだと言い続けました。
しかし、なかなか理解を得る事はできませんでした。
また、町内の会合では、
「地域の交流は大切だ」
「災害の時に助け合うためにも、住民同士のつながりが必要だ」
「毎年楽しみにしている人もいる」
という話が中心になります。
どれも間違いではありません。
しかし、ここで注意しなければならないのは、”目的と運営方法は別”だということです。
地域交流が大切だからといって、炎天下の中、大汗をかきながら焼きそばを作り続ける理由にはなりません。
防災のために顔の見える関係が必要だからといって、大量のテントを立て、自前で大量のフランクフルトを茹で続ける必要があるわけでもありません。
残すべきなのは、住民が顔を合わせる機会です。
昔と同じ作業工程まで残す必要はありません。
総会で話題に出すと、本音が見えた
なかなか話が進まなかったため、私は納涼祭とは直接関係のない町内の総会で、この問題を取り上げました。
すると、従来どおり納涼祭を続けるべきだという意見も、やはりありました。
一方で、多くの人から、
「確かに大変だ」
という意思表示に近い反応も出たんです。
おそらく、それ以前から、私と同じように感じていた人はいたのだと思います。
ただ、自分から最初に、
「やめたい」
「減らしたい」
と言うと、地域の行事に非協力的な人だと思われるかもしれません。
そのため、誰も最初に口に出さなかったのでしょう。
一人ひとりは大変だと思っていても、周囲が何も言わないため、自分だけがそう感じていると思ってしまう。
こうして、誰も積極的には望んでいない仕組みが、毎年続いていきます。
誰かが最初に、問題を公の場へ出す必要があったのです。
改めて、具体的な負担軽減策を提案した
総会での反応を踏まえ、私は改めて自治会長へ、納涼祭の負担軽減を提案しました。
その内容が、
- 自前調理の廃止
- 食品の外部調達
- 開催時間の変更と短縮
- その他実施事項の簡素化
です。
その結果、今年の納涼祭は、従来よりも大幅に簡素化されることになりました。
私は、祭りをつぶしたかったわけではありません。
運営する人が疲れ切り、毎年義務的に参加するような祭りでは、いずれ続かなくなると思ったのです。
何も変えないことが、伝統を守ることではありません。
続けられる形に変えることも、立派な継承です。
昔と今では、地域の戦力が違う
昔は、多くの地域に青年団がありました。
地域内に若い人が多く住み、親子二世代、場合によっては三世代で祭りを支えることができました。
男手も多く、テントの設営や重い荷物の運搬も、大勢の勢いでできました。
子どもの数も多く、祭りを運営する人と楽しむ人が、地域の中で循環していました。
しかし今は、少子高齢化が進んでいます。
核家族化も進みました。
若い世代は県外へ進学、就職し、そのまま戻らないことも多い。
祭りの日だけ、子どもや孫を連れて客として帰ってくる人はいても、準備や片付けの戦力にはなりません。
これは誰が悪いという話ではありません。
社会の状況が変わったのです。
それなのに、祭りの運営方法だけが昔のまま残っています。
周りの状況が変わっているのに、行事だけが変わらない。
その方が、私は不自然だと思います。
「楽しみにしている人がいる」だけでは続けられない
納涼祭を簡素化しようとすると、
「楽しみにしている人がいる」
という話が必ず出ます。
確かに、そのとおりでしょう。
特に高齢の方にとっては、長年続いてきた地域行事です。
思い出もあります。
年に一度、近所の人と顔を合わせる機会を楽しみにしている方もいると思います。
その気持ちは大切にすべきです。
ただし、楽しむ側の利益と、実行する側の負担は分けて考えなければなりません。
客として祭りへ来る人は、数時間楽しめば終わりです。
一方、運営側は、その前後に多くの準備と片付けを行います。
祭りはビジネスではありません。
運営する側は、報酬を得ているわけではなく、地域への奉仕として働いています。
言い方は厳しいかもしれませんが、誰かの無償奉仕によって、別の誰かが当然のように楽しめる状態が固定化しているのであれば、それは一種の既得権益になっています。
楽しみにする自由はあります。
しかし、その楽しみを、他人が従来どおりの重労働で提供し続けなければならない理由はありません。
次は、本当の意味での「納涼祭」にしたい
今回、納涼祭は大幅にラクになりました。
しかし、まだ開催は日中です。
私は次の段階として、夕方から夜にかけて開催する形を提案したいと思っています。
そもそも納涼祭とは、涼を求める祭りです。
真夏の日中に、炎天下でテントを立て、火を使い、汗だくになって運営する。
それでは、少なくとも運営する側は、まったく納涼できません。
夕方、少し日が傾いてから集まる。
食べ物や飲み物は、できるだけ外部から調達する。
テントも必要最小限にする。
子どもたちは遊び、大人は飲み物を片手に話をする。
無理に催しを詰め込まず、適当な時間になったら解散する。
それで十分ではないでしょうか。
町内行事を変えたい人へ
富山県内にも、
「町内の祭りは大変だ」
「役員の負担が重すぎる」
「昔のやり方を、いつまで続けるのだろう」
と思っている方は多いはずです。
しかし、いきなり廃止を提案しても、なかなか理解は得られません。
私の経験から言えば、次の順番が現実的だと思います。
まず、自分で一度運営に参加する。
次に、何が一番負担なのかを具体的に整理する。
全部を一度に変えようとせず、最も負担の重い部分から減らす。
一人で個別に愚痴を言うのではなく、総会など、公に意見を確認できる場で問題を出す。
そして、
「地域交流をなくしたいのではない。続けられる形に変えたい」
と伝える。
大切なのは、昔の祭りを否定することではありません。
昔には、昔の事情がありました。
その時代には、その運営方法が合っていたのでしょう。
しかし、今には今の事情があります。
伝統を守るということは、昔と同じことを、そのまま繰り返すことではありません。
時代に合わせて形を変えながら、大切な部分を残していくことです。
私はこうして、町内の納涼祭を少しラクにしました。
次は、運営する側も参加する側も、本当に涼める納涼祭にしたいと思っています。
夕方からでいいんですよ。
だって。
朝から納涼祭をやるなると、どうしても”朝から”ビールを呑んでしまいますから。
※最後に。
今回の話は私の功績みたいに言ってますが、実際に、一番素晴らしかったのは自治会長です。
私があーだこーだ言っても、それを実際に断行したのは、自治会長ですから。
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