と、思った事ありませんか?私はあります。
結構気になるんですよね。「何故この人はこういう人生を送っているのか(仕事でも趣味でも)?」というのが。
先日、たまたま「9年間連れ添ったフィットシャトル(自動車)」とお別れしました。ホント、最後まで毎日、元気に良く走ってくれましたよ。
で、乗り換えの際に自動車ディーラーの営業マンと話すわけですが、私としては自動車はある意味「どーでも良くて」営業マンの方が気になるわけです。
「何故この人は自動車販売会社の営業マンになったのだろう?やはり機械いじりとかが好きだったのかな?」とか。
遠慮のない私はフツーに「何故?」というのを聞き出すわけですが、聞き出していくと、どんどん色んな話が出てきます。
ある仕事をしていたけど、あるきっかけで辞めて、あるきっかけで「別にクルマ好きでも機械好きでもなかったけど」たまたま自動車販売会社に入社したという話。
しかし「そのきっかけの要因」を探っていくと、その前の学生時代、もっと遡った子供時代の話、そして「ご家族」の話に繋がります。
一人の人間が「そこに存在する」為には、実はいろーーーーーーーーーーーーーーーーーーーんな要素が入り混じっています。人のお話を聞かせていただくというのは、非常に興味が尽きません。
そういえば先日「中古住宅を購入いただいたお客様」の半生を聞かせていただく機会がありましたが、波瀾万丈。いや、まさに波瀾万丈。
ちなみに私自身は私の人生を「波瀾万丈」とは全く思っていなくて、「やる事なす事上手く行かなかったけど、なんとかもがき続けてたら、今の所沈んでいない人生」だと思っています。
でも本当に、今から振り返ると、住宅営業マンで多少なりとも住宅・建築の事を知り得たのは良かったと思っていますし、サラ金営業マンの時に「債権回収」や「法的手段」等を経験出来たのは良かったと思っています。
不動産の任意売却や不動産競売なんかで、大変な方とも多数お会いしてきた事も「経験」ですし、不動産流通ネットワーク「コアネット」の会長をさせて貰った事も「経験」でした。
(色んな人の意見を踏まえて「話をまとめる」ってホント大変ですよね。それでも何割かの人からは批判されますしね)
その他、私自身も大変な事はありました。
実務上の事でもそうですし、経営の事(資金繰り)でもそうですし、家族の事もそうです。
でも今「不動産業者として」全部活きているなあと思います。私は良くお客様に「私たちの気持ちに寄り添って貰えた」みたいに言っていただける事が多いのですが、簡単な話で。
大抵私が「以前に経験(直面)した事」だから分かるだけです。だからそりゃ
「今苦しいだろうな」「今心配だろうな」「今怖いだろうな」というのが分かるのは当然なわけですね。
そしてここが
「机上の勉強」と「経験(体感・実感)」の大きな違いです。
さて、私は
何を言いたかったのでしょう?あ、そうそう!
今「仕事で大変」であっても、逆に「仕事が無くて」大変でも、前を向いて踏ん張っていたら、なんとかなります。
「前を向いて、踏ん張っていたら」という条件付きですけどね。一緒に頑張りましょう。私も、もっと、頑張ります。