「世界には二種類の人間しかいない」と言われています。
それがいわゆる「君子」と「小人」です。
では、今回のテーマである「君子」とはどんな人物なのか?
一説によると君子とは「徳が高く、品位のある人。人格者」とされています。
当然ですが、私は君子じゃありませんよ。
こんなに酒を呑む君子がいたらぜひ一度お目にかかりたいものです。
さて。
今年、令和七年を振り返ってみると、正直なところ
「責任ある立場の人が、次々とトラブルを起こして退場した一年だった」
そんな印象が強く残っています。
何かのリーダー。
どこかのトップ。
そして、
その業界の英雄。
本来なら「君子」であってほしい人たちが、静かに、あるいは派手に、舞台を去っていきました。
そんな光景を見て、ふと思い出した言葉があります。
君子なる者は常におそれ、しかも敢えて道を失わず。
ご存知(?)、中国の古典兵法書『三略』の一節で、意味はこうです。
君子とは、
常に道を踏み外すことを恐れ、
そのうえで、決して道を失わない者である。
これを読むと分かりますよね?
君子というのは「生まれつき立派な人」ではないんだと。
むしろ逆。
油断すれば、外れる。
気を抜けば、逸れる。
それこそが「人間の業(ごう)」と分かっているからこそ、常に意識して、自分を律し続ける人。
それこそが君子だ、ということです。
自由奔放に生きていて、
「気がついたら君子になっちゃってた!」
なんて都合のいい話ではないんです。
ちなみに、さっきの一文には前段があります。
「人の道に在るは、魚の水に在るが若し。
水を得て生き、水を失いて死す」
意味は。
人が道に生きるというのは、
魚が水の中で生きるのと同じだ。
水があれば魚は生きられるが、
水を失えば、魚は死ぬ。
我々「人間」から見れば当たり前の事です。
「魚は何万年も何をやってるんだ?」と。
しかし。
我々人にとっても「道を踏まえて生きること」は、そういう
「当たり前」の事であって「生きるか死ぬかの問題である」、という事なんです。
道から外れるというのは、
人にとって単なる失敗ではないんです。一直線に死に向かう。ということなんです。
そう考えると、今年一年、
あちこちで起きた出来事も、妙に腑に落ちます。
おそれを失った人間から順番に退場していった。
そんな一年だったのかもしれません。
で。
ここからが私の超反省ポイントです。
今年の反省点は、ハッキリしています。
酒を呑みすぎました。これに尽きます。
年の前半はそこそこ真面目に断酒していたのですが、
夏辺りから、見事にアジャアジャになりました。
あれだけ暑かったら、そりゃビールも吞むでしょ・・・?
ね?(と、同情を誘う)
もっとも、酒を呑んだからといって
「人の道から外れたことをした」記憶は一切ありませんよ。
……ありませんが。
私の場合、
呑む量そのものが
「もうそれは人の道を外れとるでしょ?」
と言われることが多いので、その点は本当に、深く反省しております。
ただ・・・
年末年始くらいは、
酒に溺れてもいいのではないでしょうか。
──ということで。
良さげな話をしておきながら、
まったく謎の結論に着地します。
年末年始は、ガツンと呑みますよ!
「全然君子ちゃうやん!」
という声が聞こえてきそうです。
はい、その通りです。
私は
「酒を得て而して生き、酒を失い而して死す」
そんな人間ですから。
ただし。
酒はなかなか断つ事ができませんが、
人の道から外れる選択だけは、これからも断ち続けます。
まだ、生きていたいので。
と、いうことで。
ビールを、買いに行きます。
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