8月31日。一昔前は、今日までが夏休みでしたよね。そう、小中高生にとって最も過酷な日。それが今日です。
そんな本日。
私は司馬遼太郎の「城塞」という小説を読んでました。
城塞ってのは大阪城の事で、戦国時代最後の大戦、大阪冬の陣と大阪夏の陣を描いたお話です。
そして、その中に。
高岡が誇る我らが殿、前田利長公に関してこんな一節があるのを発見したんです。以下、そのまま引用させていただきます。
「利長は本来、天下の半分は斬りとれるほどの男だ。と、家康がかつていったことがある。実際家康はそのように思っていったのか、それとも政治的効果を予期しての発言なのか、その真意はわからないが、前田利長という人物はたとえ乱世の雄になっても一国や二国は斬りとれる男であったろう」
なんと。我らが利長公が、徳川家康(と司馬遼太郎)からそんな風に言われていたとは。
カッコいい~!!
子ども時代の私の評価
ただし、正直に言えばこの本、私は高校生の時にも読んでおります。今回は再読。そしてその時、私はこの言葉を素直に受け止める事が出来ませんでした。なぜか?
前田利長ってそんな大したヤツか?と思っていたからです。しかしこれには理由があるんですよ。まあ怒らずにお読み下さい。
以下、私が前田利長を侮っていた理由。
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あまりに身近すぎる存在
「高岡の殿様」である利長公は、地元に溶け込み過ぎ、身近すぎで全く特別感がなかった。
高岡古城公園に行けば銅像があるし、地元金屋では『御印祭』というお祭りがあるし、『利長くん』というご当地キャラがいるしで、とにかく日常的な存在だった。 -
あまりに地味すぎる人物像
父である前田利家は「槍の又左」とか「加賀百万石の初代」として有名。義理の従兄弟に当たる前田慶次は「天下の傾奇者」として有名。そして、岳父(妻の父)は織田信長で別格的に超有名。つまり周囲が派手な分、どうにも利長本人が地味だった。ちなみに、同じ織田信長の娘婿として蒲生氏郷がいますが、これがまた超有能で超有名。 -
ゲームでの能力値(※これが一番デカい)
当時遊んでいた『信長の野望』。そこでの前田利長は「統率・武勇・政治・知略」いずれも平均的。劇的にダメじゃ無いが良くもない。子供心に「なんでウチの大将はこんな凡庸なんだ!」と、憤っていたのを覚えています。隣り(越後)の上杉謙信の数値が、とても眩しかった・・・
大人になって気づいたこと
しかし今、歴史を学び直し、社会の中で組織における判断の重さを知る立場になって振り返ると、利長公の「地味さ」こそが最大の凄みなのだと感じます。
天下の半分を手に出来る(by徳川家康)という力量と立場を持ちながらも、一切そんな野望を持たなかった(見せなかった)。そしてその智恵と能力を「自家保存」、すなわち家と地域を守り抜くことに傾けた。
結果として。
前田家は江戸時代を通じて加賀百万石という「日本最大の領土」を維持し続け、私たちの町・高岡が今日まで「地味だけど、なーんか独特な存在感で」続いているわけです。
これからの展開
利長公は「派手さではなく、静かな生存の智恵」を選んだ武将でした。
その姿は、現代を生きる私たちにとっても多くの示唆を与えてくれます。
華やかさより、堅実。熱狂より、静謐。
そんな感じです。ということでこの「利長再考」シリーズでは、今後さらに前田利長の判断・葛藤・人間像を掘り下げていきたいと思っています。
かつて“超地味”としか思えなかった武将が、実は“地味に超偉大”であったことを、丁寧に紐解いていくつもりです。
何故か?
罪悪感があるからですよ。
かつて侮っていた、罪悪感があるからなんですよ。
・・・
利長さん。
(正座してます)
子供の頃馬鹿にしとって、ホンマすんませんでした!!
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