昨日、2025年9月13日は我らが殿、前田利長公が高岡城に入城された節目の日でした。
ちなみに、前田利長公が高岡城に入られたのは慶長14年。西暦で言うと1609年ですから、416年前の事ですね。大昔と言えば大昔ですが、ちょっと前と言えばちょっと前です。
しかしこの高岡城、有名な「一国一城令」によって取り壊されます。これが1615年。
と、言う事は?
高岡城はたったの「築6年」で解体更地とされてしまったわけです。もったいない。
ちなみにその前年、1614年に利長公は53歳で亡くなられています。
と、言う事は?
利長公が「新築の城」に住めていたのは「5年」に過ぎないわけです。お気の毒に。
しかし、その5年という短い歳月で今の高岡という地の礎を創り、江戸・明治・大正・昭和・平成という時代に渡って我々の生活を支え続けてくれたわけです。
が・・・
令和の高岡は、なんとも元気がなく感じるのは私だけでしょうか。
そこには少子高齢化や伝統産業の衰退など色々あるでしょうが、私としては「高岡駅と新高岡駅の分離問題」がデカいと思っております。
一国一城令のように「そこはどっちか一つに絞っておいた方が良かったやろ!」と思ってますが、そんな事を言っても後の祭り。今更どうしようもありません。取り壊すわけにもいきませんからね。
ではどうすれば良いのか?利長公ならどうするのか?と言う事でチャットGPTに質問してみました。その答えがこちら。
歴史のパラレル
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利長の時代:
高岡は北陸道・小矢部川・伏木港・砺波平野などの地理的条件を背景とした「経済・軍事の物流の要所」だった。 -
現代の構想:
新高岡駅(北陸新幹線+高速道路アクセス)を拠点とし、現代における人と物流の結節点を再定義する。
新高岡駅の本丸化
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駅を“城郭”に見立てる
→ 新高岡駅を「現代の高岡城」と位置付け、シンボル性を強化する。 -
産業集積の呼び込み
→ オフィス・商業・住居を新高岡駅周辺に集中配置し、空洞化した中心市街地を補完。 -
移住・交流の玄関口に
→ 県外から来る人にとって新高岡駅の第一印象が「高岡の顔」となる。ここを徹底的に磨く。
なるほどなあ・・・
新高岡駅への集中投資か・・・
理屈は分かりますが、「(旧)高岡駅を切り捨てるのか!」という抵抗勢力が強そうです。
と、いうことで。
私には何にも出来ませんので、「現代の利長公」の再来を熱望しております。他力本願ですみませんけど!
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