大学卒業後、しばらくのプータロー生活を経て高岡市美術館警備員となるも、余りの退屈さに耐え切れず3か月で退職。その後タカノ一条ホームに入社(血縁全く無し)。余りの過酷さに耐え切れず半年で退職。
「次の職場では絶対に自分から辞めると言わない!」と決意し、2002年1月外資系金融会社に入社。1年目から延滞管理者を任され、2年目からは延滞管理と共に貸付業務も担当。周囲の人達に鍛えられて(もとい、支えられて)3年目で不動産担保融資実績富山県第1位。4年目に金沢支店に異動、同実績石川県第2位。「来年から高岡支店長に」との内示を貰う。
内示があった矢先、消費者金融業界が「グレーゾーン金利問題」で大荒れ。会社の方から早期希望退職の募集があったので「辞めるなら今しかない(自分からじゃないもーん)」と決断、2006年9月退職。
以前から興味があった行政書士の試験勉強に集中し、60日間の猛烈勉強で行政書士試験に一発合格、即・独立開業。行政書士として相続・離婚・借金問題等を少なからず解決に導いたものの採算を全く無視した経営を行ってしまい、圧倒的に収入が無い日々を経験(この頃が人生で一番痩せていた時期です)。
2007年11月に至ってついに自己資金ゼロ。かつ、そのタイミングで長男が誕生。妻子を養う為、失意の中でランド・プランに転がり込む。入社後すぐに「自分に不動産業は合わない」と確信。言われた事だけをこなし、暇さえあればネットで転職先を探し続ける日々を約4年間続ける(結構長くイジケてます)。
2011年3月12日「今ある環境に感謝して最善を尽くす」と誓ってからようやく真摯に不動産業と向き合い、2015年3月代表取締役就任。以降は過去のグダグダした人生を反省し、精一杯真剣に生きてます。