5月1日の高岡御車山祭りは雨天の為、山車の巡行は中止されたようですが、そもそもこのお祭りは何なのか?
私が子供の頃(昭和50年代中盤~60年代初頭)は、高岡御車山祭りと言えば「活きのいいお兄さんが道路の真ん中でツイストを踊っている」という記憶が強いです。
高岡駅前の、末広町辺りが歩行者天国でしたからね。そこで音楽を鳴らしてリーゼントのお兄さんがツイストを踊っている。これが「私の御車山祭りの全て」です。
山車とか、子供的には何の興味もありませんからね。せいぜい「猿が鉄棒で回ってる!」とかは楽しいですが。あとは屋台ですかねえ。「ヤシ」と言ってました。どれだけの小銭を落としたやら分かりません。
あ!お化け屋敷もあった!(怖くて一度も入りませんでしたが)
という感じの高岡御車山祭りですが、大人になって多少歴史が分かってくると高岡御車山祭りの「由緒正しさ」というか「日本史の中での華やかさ」に気付きます。
ま、その辺の「正しい知識」は、別のちゃんとしたページでご確認下さいませ。
さて。
この高岡の歴史ある祭り、我が家の子供たちはその意味を多少なりとも知ってるんだろうか・・・と思って、昨晩の夕食の時にこう聞いてみました。
「山車って、誰から貰ったか知っとる?」と。
バカっぽい質問ですけどね。子供向けなのでご容赦下さい。で、長男の答えがこちら。
「秀吉か家康、どっちかのはず・・・。どっちやったっけ・・・?」
なんか同級生の噂話のように名前を呼び捨てにしてますが、そこは勘弁してやるとして、さて答えはいかに!?
「うーん、多分、秀吉。」
「何でそう思う?」と聞くと
「秀吉の方が何かくれそうやから」
なるほど・・・
確かに秀吉は気前が良くて大盤振る舞いしそうで、家康はケチというイメージがありますよね。という事で考えのプロセスはともかく一応の正解でした。
実際には「後陽成天皇→豊臣秀吉→前田利家→前田利長→高岡町民」という流れのようですが、まあ細かい事はいいじゃないですか。
なんか家康をネタにしてしまった形ですが、我々に太平の世をもたらせてくれた家康もまた素晴らしい。
ありがとう秀吉、ありがとう家康。
子供の日に、そんな事を考えてみました。