本日は義母の四十九日法要がありますので、お休みをいただきます。
私の苦手な『冠婚葬祭』ってヤツですね。「葬式無用!戒名不要!なんなら墓も不要!」がモットーの私なのでそういった『世間並みな儀式』は本当に苦手なのですけども「それは自分だけの考え」という事も十分理解しております。
人には人の考え方があり、信仰があります。自分の考えとは違っても最大限尊重すべきでしょう。特に「亡くなった方」には発言の機会もありませんからね。「多分こうして欲しいんじゃないかな」という所を想像して動くしかありません。
だからこそ私は、生きているうちにちゃんと自分の考えを発言しておこうと思ってますけどね。「葬式無用!戒名不要!墓も不要!」と。しつこ過ぎるくらいに。
そう言えば以前。行政書士の時。不動産屋になる前なので15年程昔の話ですが、遺言書を作成する仕事をしていました。
ある時、ご依頼人の方(残念ながら若くしてご病気で亡くなられました)と話していて、今でも覚えている会話があります。
私「(一般論として)葬式とか四十九日とかって、その場に行っても何もする事がないじゃないですか?何かが生まれるという生産性もありませんし。私が行く意味が全然分からないんですよねー」
今思うとデリカシーのかけらも無い発言ですが、そのご依頼人の回答がこちら。
「あなたがその場に”いる”という事。ただそれだけで良いんですよ。」
なるほど。世間的に言えば当たり前なのかも知れませんが、そんな事は人生の中で一瞬たりとも考えた事が無かったので、胸の中に何かがストンと落ちた気持ちがしました。
『その方に』『そのタイミングで』言われた事自体、すごくインパクトが強かったです。なんならその場で『一瞬にして反省』しました。「おい俺!浅い事言ってんじゃねえよ!」と。
という事で、何も出来ませんが、張り切って行ってきます。
”いる”というのは、実は結構、素晴らしい事ですからね。