何か月か振りに自宅でお酒を呑んでおります。以前取引いただいたお客さんから「小学校区」の事で相談を受けたのですが、その帰りに頂戴したのです。
断酒し始めて約1年2カ月。本格的に断酒を続けて約9カ月で、久しぶりに本格的に自宅で呑みました。
久しぶりに呑んで分かるのが。「オレ、よっぽど酒が体に合ってるんだろうなあ」という事です。スイスイ入っていきました。富山米を使った珍しい焼酎、大切に呑ませていただきます。
お酒を出す前に「まだ断酒は続けてるんですか?」と聞いていただけたのも嬉しかったです。
いつもの通り私としては「人からいただいた酒は、酒ではありません!」と断言して、喜んで頂戴したわけですが。
言っている事は無茶苦茶なんですが、そこまで硬直的な断酒家では無いと言う事ですよ。お役所じゃあるまいし。ある程度の柔軟さは必要という事です。
硬直的で思い出しましたが、今回相談いただいた『小学校区』というのもかなり硬直的です。そこまで画一的に決めなくても・・・と思う時が多々あります。「不合理だなあ」という事も多々あります。
「子供や親御さんの事、ちゃんと考えてんのかなあ」とも。
子供や地域を守る為の取り決めが、取り決めを守る為に子供や地域に無理を強いているように見えてしまうんですよね。
過日、高岡市立野で用水に関わる痛ましい事故がありました。子供を守るとはどういう事なのか。物理的に守る事が必要な場合もあれば、制度的に守る事が必要な場合もあるはずです。
で、考えるべきはいつも一つですよ。「やれる所からやっていく」。
いつ、どんな時代背景で決まったルールなのか知りませんが、そのルールを墨守する為に人間が振り回されるのはどうかと思いますよ。人あってのルールであり、ルールあっての人では無いのですから。
そんな事を言うと「ルールを軽視すると無秩序に陥るじゃないか!」とか言われるんですが、そこが硬直的だと言ってるんですよ。私の断酒と一緒です。
「断酒中であっても、人から頂戴したお酒はありがたくいただく。」つまり、人の想いを無碍にしてはいけないという事です。もう一回言います。人の想いを無碍にしてはいけないんです。一定のルールを設けつつも、それは出来ます。
世の中のルールを決めている方たちは、どうかこの「人の想い」という事を忘れないようにしていただければ幸いです。
ルールによって、ある程度画一的に取り決めないといけないのは勿論分かるんですが、少しはその「個々の事情」というものに優しい目を向けて欲しいわけですよ。
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久しぶりに酒呑んで頭がクラッシュしたようですね。まあとにかく、我々も「やれる事を」やっていきましょう。打つ手は色々あります。