というニュースがありました。
セクハラは職場の飲み会にて、酒気帯び運転はプライベートでの飲み会での事らしいんですが、お酒の力って恐ろしいですよね。やめて良かったですよ。
とはいえ。もし私が『お酒』の立場であればこう主張すると思います。
「ちょっと待って下さいよ。その事件についてはお酒自体が問題じゃないでしょう?確かにお酒の力によってその人のタガが外れてしまった事は認めますよ。だってお酒ってそういう効果があるものですからね。人の気持ちを開放的にするというか、緊張を和らげるというか。でも、その効果が発揮された時に何が残るのか?それこそが”その人の本質”って事でしょう?お酒がその人の行動を決めてるんじゃありません。その人の本質が行動を決めているんです。お酒は単に”その人の本質をあぶりだした”だけです。お酒には何の罪もありません。よってお酒側の無罪を求めます」
雑な論理ですが、私はそう思っています。
もう一つの高岡市身体障害者協会の横領事件の方ですが、これも飛んでもない話で。対象がまた最悪ですよね。身体障がい者の為の組織なのに、その中の個人が自分のモノにしていたという。お金の力って恐ろしいですよね。お金の魔力は人を狂わせます。やめて良かったですよ(お金儲けを追求する事を)。
とはいえ。もし私が『お金』の立場であればこう主張すると思います。
「ちょっと待って下さいよ。その事件についてはお金自体が問題じゃないでしょう?確かにお金に大変な魅力があるのは認めますよ。だってお金ってそういうものですからね。社会において財物やサービスを受ける為の手段であり、自分の願望を叶える為に必要不可欠の存在です。でも、今回の問題は”どういう手段を用いてそのお金を手に入れたか”でしょう?お金の存在自体が問題を引き起こしたんじゃありません。お金の”生み出し方”に問題があったのです。お金には何の罪もありません。よってお金側の無罪を求めます」
雑な論理ですが、私はそう思っています。
最後に。
警察だって身体障害者協会だって、真面目に一所懸命、世の為人の為に尽くしている人はたくさんいます。大変な事も(個人的に)嫌な事も多々あるでしょうが、それでも自らの職責を果たす為に日夜精励している人を私は知っています。
残念ですが、組織も人も完璧にはいきません。「あなたがたの中で罪のない者が、まずこの女に石を投げつけるがよい」ってヤツです。当然、私にも石を投げつける資格はありません。
人のふり見て我がふり直せ。
使い古された警句ですが、そう言うしかありませんな。