昨晩、長男が部活の『夜練』と言う事で9時40分頃に帰宅しました。
遅いっちゃ遅い時間です。真っ暗の道で怖かったようです。しょーもない。「どんな道で帰ってきたん?」と質問すると、『ある道』を答えたのでふと思い出しました。
「そこって三昧小路やん」と。
出ました三昧小路(さんまいしょうじ)。
昔、ばあちゃんがいっつも言ってました。若い頃、三昧小路で狐火を見たとかどうとか。今と違って本当に寂しい道だったので、そんな事もあったんでしょう。
ちなみにウチのばあちゃんは大正15年生まれでした。炭治郎が活躍していたちょっと後くらいの時代感ですね。
鬼がいた時代なんですから、狐火くらいあってもおかしくないのかも知れません。
「で、本当にそんな事あったの?」と聞かれても私は知りません。しかしとにかく「そういう話を聞いた」のは本当です。
ちなみに、私自身も保育園の時からその道(三昧小路)は良く通ってますが、一度も変わった思い出はありません。だからもう、今は何もいないんでしょうね。
ちなみにこの三昧小路。なんでそんな名称なのかというと、写真もあって素晴らしいページを見付けました。後で貼り付けておきます。
そういえば高岡市でも『旧地名』を復活させようとする動きがあるようですが、私は大賛成ですね。地名というのは歴史そのものであり、人の生活そのものでもあります。
人が名前を付けて、名前が人に影響を与える。この繰り返し。
この話、全然怖い話ではありませんし、三昧小路がどうのこうのという事でもありません。ただ一つ言える事があるとすれば「三昧小路とは、高岡の歴史と文化が詰まった、素晴らしい道路名称である」という事です。
人に歴史あり。地名に歴史あり。道に歴史あり。
長男のビビり切った顔を見て、そんな事を思った私でした。
※写真はイメージです。
三昧小路の記事はこちら⇒富山の街道(ふるみち)
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